日本ヘラブナクラブ

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2013年2月18日

京都ぶら~り散策<1>

P2070008  ヘラブナの故郷は今・・・。

 伝説の湖、巨椋池へ。

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P2070089 昭和初期まであったんだよね、

ここに巨椋池が・・・

田園風景が広がる京都府南部。京滋バイパスや第二京阪が開通し、 地元の方以外でもこの付近を車で走ることが増えました。

今は見渡す限りの田園なのですが、ここに淡水魚の宝庫、伝説の湖・巨椋池があったんですよね。「巨椋」 と書いて、「おぐら」と読みます。

京滋バイパスには『巨椋池I.C』、第二京阪には『巨椋I.C』があります。 どちらもよく利用する道路ですが、いつも素通りP2070092 するだけでした。

先日、京都伏見にあるゼファーボートさんの事務所へお伺いしたとき、最寄I.Cが『巨椋I.C』 ということだったので少し大阪を早めに出発し、「このへんに巨椋池があったんだろうな」という付近を車で走ったり、 少しぶらぶらしてみました。

「何か巨椋池の名残を感じさせるような場所がないかな」と期待を寄せての散策でしたが、 あるのは田んぼ・畑・ビニールハウス・コンクリートで護岸された水路のみでした。

淀にある「京都競馬場の中央にある池が巨椋池の名残」と京都府のホームページ (京都府レッドデータブック)に記載されていますが、その程度しか残っていないようです。

P2070003 P2070002 P2070006 P2070007 

P2070009 P2070012 P2070008  先日、撮ってきた写真です。

<<<京都府レッドデータブック・ 京都競馬場調査>>>


■巨椋池はヘラブナのルーツ

ヘラブナの原種は琵琶湖・淀川水系の固有種「ゲンゴロウブナ」であり、 それを品種改良したものがヘラブナです。

1986年初版発行の江藤江舟著「ヘラブナ」(西東社刊)で、次のように記載されています。


文献によると、明治38年~39年頃、中河内郡瓢箪山(現在の東大阪市) の養魚家橋本福松氏が淀川で捕獲した体高の高いゲンゴロウブナと、八尾市在住の田坪房吉氏が宇治・ 巨椋池で飼育していた体高が高いゲンゴロウブナとを交配させ、これを原種として人工淘汰し、 体高が高く大きく成長するフナに創りあげたのが現在のヘラブナである。

その後、大阪の河内地方で食用魚として盛んに養殖されるようになったのは大正10年頃の話であり、 昭和17年、河内地方に淡水養魚組合が結成された時に特産の「カワチブナ」として命名された。


また、長年ヘラブナの研究をしてきた大阪府水生生物センターの淡水魚図鑑には次のように記載されています。


「カワチブナ(ヘラブナ) はゲンゴロウブナから作り出された養殖品種である。 明治末ごろに河内の人が淀川や巨椋池で採取した体高が高いフナを選び選抜淘汰を重ねてきた大阪府の特産魚である。


カワチブナの養殖は当初食用が目的で、アライや煮付けで食べられていました。今でも滋賀県をはじめ、 フナを食べる食文化はまだまだ残っています。

成長速度が早く、肉が多いフナを育てるがための品種改良だったのですが、 今となってはヘラブナは我が国を代表するゲームフィッシュです。う~ん、河内のおっさんの功績はかなりデカイといえるでしょう。 (笑)

■魚が大きく育った巨椋池

以前、水生生物センターの研究員の方に「ヘラブナのルーツはなぜ琵琶湖ではなく巨椋池なんですか?」 と尋ねたことがあります。河内に近かったということもありますが、巨椋池は琵琶湖よりも水温が高く、 富栄養化で魚が大きく育ったみたいですよ、とのことでした。

今はもうない伝説の湖なので調べることはできないけれど、 淀川にイタセンパラなどの固有種が多いのも、おそらく巨椋池の存在が大きかったと推測されています。 漁業が盛んに営まれてきたそうだから、淡水生物や野鳥の宝庫だったことは疑う余地もないでしょう。

ヘラブナだけではなく、淀川水系の固有種を調べていると辿り着くのが巨椋池。 イタセンパラなどの淀川水系の魚の話を聞きにいくと、いつもこの池のことが話題に上ります。その度に「あ~、見たかったな~、 ここで釣りをしたかったな~」なんて思っていました。

巨椋池は周囲約16km。 池というよりも湖の規模ですが、琵琶湖などと比べると小さめです。ただ、その大きさ以上のスケールだったと勝手に想像しています。 琵琶湖から流れ出した瀬田川(宇治川)は桂川、木津川と合流して淀川となり、大阪湾へ注ぐのですが、 この3大河川の合流地帯にあったのが巨椋池です。宇治川がダイレクトに流れ込んでいたため水はかなり動いていただろうし、 生き物にとっては楽園だったに違いありません。

さまざまな資料に遊水池と書かれていて、大水が出るたびに氾濫し、気候や天候によって大きくなったり、 小さくなったりしたそうです。まるで湖自体が生き物のようで、 大雨が降ったときなどは氾濫することで淀川の流量を抑える大切な役割を果たしていたそうです。

この巨椋池があった地域はもともと土地が低く、 埋立地ではなく干拓地のため、 今でも排水機場のポンプで水を宇治川へ流さないと水が溜まってしまうそうです。 今さら水を貯めても豊かな生物環境は戻ってこないでしょうけど、この素晴らしい湖を"伝説"にしてしまったのはただただ残念でなりません。

巨椋池に最初に手を付けたのは豊臣秀吉

京都の歴史や、淀川水系の生物に興味をお持ちの方は巨椋池のことをよくご存知のことと思います。 私自身は水生生物センターの方からお聞きしたり、ネットからの情報だけなのでそれほど詳しくは知らないのですが、 以前からとても興味があった伝説の湖でした。

私の回りにいるヘラブナ釣り仲間で、 「ヘラブナのルーツが巨椋池だ」ということを知らない方が意外と多かったので、 いい機会かなと思って紹介させていただきました。

巨椋池の改修は、豊臣秀吉が伏見城を築城した際にいくつもの堤防が作られたのが始まりです。その際に 巨椋池に流入する宇治川を伏見に迂回させる大規模な土木工事を行ったと伝えられています。

そして、昭和8年に干拓工事が始まり、 昭和16年に完成して消滅しました。 太閤さんの時代から昭和初期まで頻繁に改修が行われてきたそうです。

万葉の和歌に詠まれたことや、改修の歴史、古い地図、写真などがネット上でたくさん紹介されているので、 興味がある方はぜひググってみてください。

何度も言いますが、巨椋池が消えてしまったことはただただ残念です。

<<<巨椋池干拓地と周辺河川の治水>>>

<<<近畿農政局 巨椋池の歴史>>>

<<<幻想コラム 巨椋池>>>

<<<京都府レッドデータブック 巨椋池>>>

2013年2月18日 14:44